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探訪白石 - 滝の観音堂・片倉喜多の墓 2

青面金剛碑を横に見てさらに階段を上ってゆくとお堂が見えて来ます。
お堂は滝の観音堂といい刈田三十三観音の第一番札所となっています。

ちなみに現在の刈田郡は近隣の蔵王町と七ヶ宿町とで構成されていますが、
明治11年の郡発足時には白石市も含まれていました。

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お堂の前には左右に狛犬がいますが、随分と古い時代のものの様です。
向かって左側の狛犬を真横から。

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実際に近くに寄って見ると分かり易いのですが、顔面が削れてしまっています。
風化によるものでしょうか、それとも人為的な理由によるものでしょうか。

台座には右から読んで延享五年四月吉日とあります。
西暦ですと1748年ですから、もう260年以上も前に製作されたものなのですね。
(ちなみに、年号はこの年の内に延享から寛延に移り変わっています。)

今度は向かって右側の狛犬を同じく真横から。

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木の葉に隠れて分かりずらいですが、こちらもまた顔面が削れてしまっています。
蔦が絡まり台座の文字ははっきり読むことができませんでした。

双方どのような容貌をしていたのか、戻れるものなら当時に戻り確認してみたいです。
100年前とかの写真があれば、面影くらいは拝むことができるかも知れません。

二匹の狛犬は今日も、じっと参道を見つめています。

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2014.9.15撮影 白石市・滝の観音堂・片倉喜多の墓

by commonp | 2014-09-30 01:53 | 写真・カメラ

探訪白石 - 滝の観音堂・片倉喜多の墓 1

片倉家廟所を見た後は駐車場まで引き返し、今度は片倉喜多の墓に向かいます。
いったん国道にでて七ヶ宿方面に数十メートル歩くと墓への入口に到着。
墓は歩道脇の階段を上りきったところにあります。

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歩道には廟所までのルート案内板が立っていたので、墓に向かう前に繁々と眺めます。
こちらは廟所入口の観光案内板とは異なり、国道4号や東北自動車道に繋がる道案内に主眼が置かれているよう。
イラスト的な要素は少なく道路主体で実用本位ですね。

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苔のむした石段を上ってゆくと、折れ曲がりのところに青面金剛碑の標柱が。

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標柱の横にある二つの石碑は庚申塔で、左には庚申供養の文字が、右には青面金剛像が彫られています。

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青面金剛は庚申信仰の本尊で悪疫を調伏する神様。
六臂(ろっぴ)、六本の腕を持つとのことですが、像をよく見るとなるほどそのことが確認できます。

標柱の後ろにも二つほど石碑がありましたが、草陰に隠れていたこともあり確認し損ないました。
どちらにも馬と読めそうな文字が彫られていましたがなんでしょうね。

それでは、続きはまた。

2014.9.15撮影 白石市・滝の観音堂・片倉喜多の墓

by commonp | 2014-09-27 19:59 | 写真・カメラ

探訪白石 - 片倉家廟所 4

初代景綱の墓碑に一礼し垣の内側に入ると、十体の坐像が整然と並んでいます。

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敷地の案内板には各当主坐像の並び順が示されていました。
右から二番目の坐像だけは当主ではなく七代村廉の正室、七代仙台藩主伊達吉村公息女、郷姫です。

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私がいる間にも何組かの方々が訪れ、坐像に手を合わせていました。

垣の外側には初代景綱に仕え殉死した家臣六名の墓碑、また、
明治四年の北海道への開拓移住に際して、片倉家家臣が建てた先祖代々の供養碑があります。
私は道産子なのですが、片倉家と北海道の間にこの様な縁があることはとても興味深いです。

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遅々とした進行ですが、続きはまた。

2014.9.15撮影 白石市・片倉家廟所

by commonp | 2014-09-25 00:47 | 写真・カメラ

探訪白石 - 片倉家廟所 3

国道下の墓石に手を合わせた後は、駐車場から続く階段を上り廟所へ向かいます。

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階段を上りきったところは一般の霊園になっており、敷地の周縁に沿う細い道をさらに奥に進みます。
すると青い案内板とともに、樹林をバックに横に広がる石造りの垣が見えてきます。
薄暗い空間にこれだけ幅のある構造物が浮かび上がる光景は、さながらそこが異次元への入口であるかのようでした。

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この垣に囲まれた方形のなかに、片倉家代々、白石城主の墓標が安置されています。
垣の正面の扉が開いたところ、丁度そこにおわするのが初代景綱。

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その墓標は阿弥陀如来坐像となっています。
外からは垣で隠れて見えませんが、初代から9代景貞まで全て墓標は石像です。
(明治に没した10代宗景のみ墓碑は柱状。)

それでは、続きはまたの機会に。

1枚目・2014.9.15撮影 2・3枚目・2014.9.29撮影(再訪し撮影) 白石市・片倉家廟所

by commonp | 2014-09-20 16:53 | 写真・カメラ

探訪白石 - 片倉家廟所 2

廟所入口の分岐を撮影していたときに、道の横、深く落ち込んだ谷底に石造物群を発見。
ちょっと分かりにくいですね。以前訪問したときには全く気づきませんでした。
道の脇から谷底に通ずる階段を下りてみます。

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刻まれている文字は戒名で、これらの石造物は墓石でした。
戒名の末尾には信士、信女という文字も見られ、男性も女性もおられるようです。

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年号には明治などの比較的新しいものや、文政、文化といった200年程前のものもありました。
風化で文字の判別が難しかったのですが、享保や元禄と読めそうなものもあり、
もしそうだとすれば300年程前の墓石ということになります。

そこから100年も遡れば豊臣氏が滅んだ大阪夏の陣、この墓石を通して心がタイムスリップして行きそうです。
郷土資料館などに問い合わせてみれば、正確な年号などは分かるのでしょうね。

続きはまた改めて。それではどうも、おやすみなさい。

2014.9.15撮影 白石市・片倉家廟所

by commonp | 2014-09-17 02:50 | 写真・カメラ

探訪白石 - 片倉家廟所 1

代々仙台藩白石城主を務めた片倉家、今日はその廟所を訪問してきました。
昨年も廟所は訪問しており、その時の写真で記事を編集しようと思ったのですが、
どうも中途半端な写真ばかりで使えそうなものがない・・よし、それならばもう一度訪問してみようと。

国道4号から国道113号に入り七ヶ宿方面に進むと、ほどなく片倉家廟所の看板が見えて来ます。
看板の先には茶屋があり、ここの分岐を左に入ります。

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坂を少し上ると駐車場が。20台位は停められそう。トイレもあり立派です。
大河ドラマで「独眼竜正宗」を放映していた頃には、観光バスも入っていたかもしれません。

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廟所に向かう前に周辺案内図の看板を確認。こういう風に絵が載っている観光案内板って好きですね。
イメージが湧きますし、眺めているだけでも楽しい。観光地の案内板は、大切なポイントかも。

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さて、この後廟所に向かうのですが、ふと気づけば明日の仕事に差し支えるような時間に・・
今日はさわりだけとなってしまいましたが、続きはまた日を改めてにしたいと思います。
それではどうも、おやすみなさい。

2014.9.15撮影 白石市・片倉家廟所

by commonp | 2014-09-16 01:49 | 写真・カメラ

片倉喜多の墓

奥州の雄伊達正宗、幼名「梵天丸」の守役であった片倉喜多。
TUTAYAでDVDを借り、NHK大河ドラマ「独眼竜正宗」を見ていた昨年の春、
竹下景子さん演ずる片倉喜多に魅せられ、彼女の墓前に足を運びました。

でも、魅せられていたのは演じていた竹下景子さんご本人に、だったのかも・・
クイズダービーを見ていた青少年時代、きれいな人だなーと思っていましたし、
北の国からの雪子おばさんもよかったなー。応援したいですね。

墓前にはお花やお線香、お茶などが供えられておりました。
喜多さん、心安らかにおやすみください。

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2013.3.20撮影 白石市・片倉喜多の墓

by commonp | 2014-09-11 02:14 | 写真・カメラ

明日から読む本

歴史がわりと好きで、この夏は日本史関係の本を読んでいます。
本といっても図録や用語集、参考書といった学参の類ですが、大人になって読んでもなかなか面白い。
しかし現在、平安末期のところで足踏み状態。荘園というものがよく理解できないのです。

ちょっと込み入りますが・・例えば。

学参によりますと、律令制が崩壊し国司が徴税請負人化してのち、
国司は一定の期間を限って有力農民に、国司が管理する田地の耕作を請け負わせ、
年貢の負担を課したということになっています。

そして、最初は耕作の請け負いのみを行っていた有力農民が、
やがて自らが切り開いた田地を私有しその土地を貴族らに寄進する。
寄進された田地は貴族らの荘園となり、有力農民は荘園の管理を貴族らから任された、
ということにもなっています。

ここまでたどり着いた私は次に、
では、有力農民が自ら切り開いた田地を私有化することができた具体的な根拠はなにか、
切り開いた田地を国司に没収されることはなかったのか、
田地の私有化の実現までにどのような個別具体的な出来事が積み重ねられたのか、
ということを知りたくなりました。

上記は知りたいことの一例ですが、
このほかにも荘園について詳しく知りたいことがでてきたため、
仕事帰りに仙台市榴岡図書館に立ち寄り本を借りてきました。
タイトルはズバリ「荘園」です。
知りたいことが明らかになるのではないかと、期待に胸を膨らませています。
明日からの読書が楽しみです。

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2014.9.4撮影 拙宅

by commonp | 2014-09-04 03:28 | 写真・カメラ